確かに、僕は効率がいい方法を考えるのが好きです。
ですが、いらぬ誤解を生まないように、少し説明させてください。
【前提】効率がいい方法とは…?
そもそも『効率がいい』とは、
どういうことでしょうか?
効率がいい=時間を節約できる
と、ここでは定義します。
わかりやすい例を挙げます。
10分間に、10通のメールを送る
という仕事があるとします。
通常、1通のメールを作るには1分かかります。
そこで、以下の方法を取り入れます。
- Ctrl+C と Ctrl+V を使う
- 定型文は、頭文字で単語登録しておく
すると、
1通のメールを30秒で作れるようになりました。
効率化の先に、何を求めるか?
1通のメールを作る時間を、節約できた。
そうなった先には、2つの道があります。
ということは、
10分間に、20通送れるじゃん!
生産性が2倍になったぞ〜!
ということは、
ノルマ達成に5分で済むじゃん!
時間の余裕ができたなぁ。
僕は、完全に後者。
僕は、効率がいい方法を考えるのが好きです。
ですが、それは限られた時間内に、
より多くのタスクをこなしたいからではありません。
効率化によってタスクを減らすことで、
時間の余裕を生み出し、
精神的な余裕を持ちたいからなのです。
なぜ、効率至上主義の立場を取らないか
- 人間のパフォーマンスの観点
- 予期しないアクシデントに対する観点
人間のパフォーマンスの観点
先程のメールの仕事の例にて、
せっかくタスクを効率化しても、
「10分間に、20通送る」としてしまったら、
時間の余裕がほとんどありません。
時間的余裕の少なさから焦りを感じると、
ミスを犯してしまったり、
余計に時間が掛かってしまったりするなど、
逆にパフォーマンスが下がってしまう。
それが、人間ってものじゃないでしょうか。
予期しないアクシデントに対する観点
生産性を極限まで上げるために、
制限時間目一杯にタスクを詰め込む。
焦らずミスを犯さない完璧人間なら、
平時はそれで良いのかもしれません。
しかし、それをデフォルトにしてしまうと、
予期しないアクシデントが起きた時に、
完全にパンクしていまい、詰んでしまいます。
それを避けるために、
僕は効率化の先に、時間的な余裕を選択するのです。
昔、仕事でこんなことがありました。
勤務時間内にやるべきタスクを効率化し、序盤で済ませておいたのです。
で、のんびり残りの勤務時間を消化していたら当然の連絡が…
なんと、急遽これからお偉いさんが視察に来るというのです。笑
やるべきタスクはすでに済んでいたので、そこから余裕を持って、“お偉いさん視察用の体裁” を整えることができました。
いらっしゃったお偉いさんからも、お褒めの言葉をいただきました。
タスクを効率化していなかったら、どうなっていたか…笑。
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