本記事は、子育てや運転を肯定・否定するものではありません。
また、僕は車の所有・運転の経験はありますが、子育ての経験は全くありません。
そのため、子育てについての論は、あくまで想像でしかありません。
喜びや楽しみがあり、自分の世界が広がる
教習中に初めて路上で運転をした時、
ものすごく楽しかった記憶があります。
その後、自分の車を購入したときも、
ものすごく嬉しかったのを覚えています。
運転は楽しくて好きだったし、
自分の経験や世界を大きく広げてくれたと思います。
恐らく、子育てもそうなんでしょう。
我が子の誕生はものすごく嬉しいだろうし、
可愛い我が子と遊ぶ時間は楽しいだろうし、
親になるということは、
自分の経験や世界を広げてくれるに違いありません。
経済的な負担が大きい
車を所有するのには、たくさんのお金がかかります。
事実、僕は車社会の田舎に住んでいながら、経済的な理由で車を所有していません。
子育て経験は全くありませんが、
多額のお金が必要なことは、想像に難くありません。
いま僕は、自分で働いて得た収入を、自分の暮らしの為に使っています。
一人で一人分の生活費しか稼げていないわけです。
こういう表現が適切か分かりませんが…
『子育てをする』ということは『働いていない子供の生活費まで自分が稼ぐ』ということ。
単純にそう考えるだけでも、ものすごく経済的な負担が大きいことがわかります。
過失で、他人に負の影響を与えるリスク
運転を誤って交通事故を起こせば、
相手に、一生残る障害を負わせる可能性もあります。
子育てにおいても、
親としての自分の養育の仕方によっては、
子供に生きづらさという負の影響を与えてしまう。
子供としての自分の経験から、そう思っています。
堀江貴文さんは、事故の加害者になる可能性をゼロにしたいから、車の運転は絶対にしないそう。
子育てについて、僕はそれと同じ考えです。
僕は、ゼロリスク信者ではありませんが、
運転はやめようと思えばいつでもやめられるけど、子育ては一度始めたらやめられない強い責任の伴う行為
だと思っているので、子育てをするつもりは全くありません。