
『北風と太陽』の太陽のような人でありたいと、僕は思っています。



でも、恐らく皆さんが一般的に想像する太陽と、僕が志向する太陽は違うと思います。笑
イソップ寓話『北風と太陽』


あらすじ
ある時、北風と太陽が力比べをしようとする。そこで、通りすがりの旅人の外套を脱がせることができるかという勝負をすることになった。
まず、北風が力いっぱい吹いて、旅人の外套を吹き飛ばそうとする。しかし、寒さを嫌った旅人が外套をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができなかった。
その次に、太陽が燦燦と暖かな日差しを照りつけた。すると旅人は暑さに耐え切れず、今度は自分から外套を脱いでしまった。こうして太陽の勝ちとなった。
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/北風と太陽
解説
物事に対して厳罰で臨むよりも、寛容的に対応する方が得策という教訓として、広く知られている。
デール・カーネギーの自己啓発書の名著『人を動かす』において、…(中略)…人を説得しようとした際には、北風のように強引に言い聞かせようとしたり怒鳴っても、相手を意固地にさせたり反発を食らうだけである。太陽のように、穏やかに暖かな感情で話しかけることが肝心であると説かれている。
ここでいう太陽とは、「親切」「友愛」「感謝」の心であり、世の一切の怒声よりもたやすく人の心を変えることが出来ると、カーネギーは説明している。
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/北風と太陽
僕は、北風ではなく、
太陽のような人でありたいと思っています。
しかしそれは、
他者に寛容的になり、
穏やかで温かいアプローチをする
ということではありません。



僕がそんなお人好しなわけないじゃないですか。笑
『北風アプローチ』と『太陽アプローチ』
相手に不満を持ち、相手を動かしたくなる時


誰かと二人で仕事をするとします。
やるべきタスクは、【A】【B】【C】【D】の4つ。
【A】が一番大変で、【D】が一番楽な作業です。


そんな中、ふと気づきます。
相手はいつも【C】と【D】ばかりに取り組み、
【A】と【B】は、自分ばかりがやっていることに。



いつも私ばっかり大変な作業をしてる…
相手も、たまにはやってくれないかな…
このような思いを持つのは自然なことです。
一般的に、こういう時の相手へのアプローチは、
北風的なものと、太陽的なものに分かれます。
北風アプローチ





あなたはいつも楽な作業しかしない💢
私ばっかりいつも大変な作業をしてる💢
たまには、あなたがやってよ💢
太陽アプローチ





ねぇ、明日はあなたに【A】と【B】をお願いしたいんだけど、いいかなぁ?
『北風』も『太陽』も、負担になる
僕は、北風アプローチは絶対にしません。
感情的になってしまうのは、◯カだと思っているし、
人に対して怒りを向けるというのは、
意外とエネルギーが必要で、
脳のメモリを圧迫すると思っているからです。
かと言って、
太陽アプローチをすることも滅多にありません。
温かい言葉を選んで穏やかに言うとしても、
他人の短所を指摘して行動の改善を促すのは、
やはりエネルギーを必要とするからです。



自分が指導者の立場だったら、やむなく太陽アプローチを使いますけどね…
では、僕はどうするのか?
攻撃的な北風アプローチでもなく、
寛容的な太陽アプローチでもない、
『真・太陽アプローチ』を試みます。笑
僕の『真・太陽アプローチ』


僕が、先述の状況での女性の立場だったら、
自分が【C】と【D】に先に取り組んでしまい、
男性に【A】と【B】しか残らない状況を作り上げ、
その場をしれっと離れてしまいます。笑


僕にとっての『太陽』は、
寛容的で穏やかであることの比喩ではありません。
直接的に相手を厳しく攻撃しないため、
一見、穏やかで寛容的に見えるけれども、
じりじりとした無言の圧力を、
確実に相手に与えて行動の変容を促す。
それが、僕が考える真・太陽アプローチなのです。
他人に期待しないし、動かそうとしない
そもそも、僕は他人に期待をしません。
もっと踏み込んで言えば、



あの人に僕の思い通りに動いてもらおう
という思いを抱くことはありません。
他人に期待するくらいなら、
さっさと自分でやってしまう。
それ以前に、
願望は、自分で行動できる範囲に収める。
シンプルにそうしているだけなのです。
しかし、時として、



もしかしたら、こうすれば、あの人を動かすことができるかも…☆
というアイディアが浮かぶ時があります。
そういうときは、



試しにちょっとやってみよう♬
これであの人が動いてくれたらラッキー☆
くらいの心構えで、
行動を起こしてみることにしています。
それが、僕の真・太陽アプローチなのです。



仮にそれが失敗して、その人が自分の思い通りに動かなくてもいいのです。
その時は、自分がやればいいだけなので。