人生最大の体調不良を経験して、
僕が考えるようになったことです。
今回は、ちょっとスピリチュアルな話です。笑
堀江貴文さんと灰原哀さんの言葉
水が低きに流れるように、自然に身を任せる。
僕が生きていく上での一つの信条のようなものだ。
どうも世間での僕は、欲しいと思ったものはどんな手を使ってでも手に入れる、強引、強欲な人間と思われているところがあるけれども、実のところ、僕の中にはそんな強固な意思や執着は存在しない。
大切だと思っているのは二つだけ。力を抜いて流れに身を任せること。そして目の前のことにひたすら熱中すること。そうしていれば人は、いつの間にか、自分が在るべき場所に辿り着くことになる。
僕が起業するまでの経緯を振り返ってみても、まさにそう。その時々の時代の流れや、自分の感情に素直に従った結果、僕は会社の社長になっていたにすぎない。
「我が闘争」堀江貴文 著 (幻冬舎文庫)
どちらも、病気になる前に読んだ本ですが、
病気後に、ふと、これらの言葉を思い出ました。
そして、こう考えるようになったのです。
人生は、
神の『見えざる手』によって、
自分の意志とは無関係に、
『大いなる流れ』が 既に形作られている。
そして、それに逆らって、
自分の意志を強引に貫き通そうとすると、
何らかの『罰』を受けることになる…と。
『大いなる流れ』に逆らって、『罰』を受けた僕
僕は、33歳になる年に、
ずっと夢だった、都会への引越しをしました。
しかし、すぐに人生最大の体調不良に堕ち、
一人で生計を立てられなくなったので、
都落ちしての長期療養生活に入ったのです。
冷静に思い返せば、僕は焦っていました。
・新天地での転職
・自分と価値観の合う女性との交流
どちらも、年齢を重ねるほど難しくなっていく。
だからこそ、できるだけ早く行動しなくては…
そのような思いから、焦っていたのです。
当時を知る友人からは
「すごい勢いで進んでいた」
「スピード感がすごかった」
と後に言われました。笑
その為、いろいろな問題には目を瞑って、
とにかく急いで行動を起こしたわけです。
・仕事を決めていない
・生活防衛資金がない
・ミニマムライフコスト未達成
この3つには、目を瞑りました。
それはきっと、
『大いなる流れ』に逆らった行動だったのでしょう。
その結果、
都会から田舎へ、
自由気ままで快適な一人暮らしから、
ずっと避けていた両親との暮らしへの転落。
そして何より、
人生最大の体調不良に苦しみ続ける。
そんな『罰』を受けることになりました。
両親の家での長期療養中には、
これまでずっと直視するのを避けていた、
母親との関係に向き合うことを余儀なくされました。
しかし、そんな中で、
ミニマリストとしての知見を活かしながらの、
身体で払う形での親孝行をすることができました。
不用品を捨てることを中心とした部屋の片付けを、母親の意見を尊重しながら手伝いました。
頑なにガラケー派を貫いていた母親にiPhoneとAirPodsをプレゼントし、基本的な使い方や、メルカリのやり方を教えました。
急速にキャッシュレス化していく世の中に戸惑っていた母親に、キャッシュレスについてわかりやすく説明し、スーパーに一緒に行ってセルフレジの練習に付き合いました。
こうして一定期間 両親の家で暮らし、
母親との関係に向き合ったり、
母親に対して親孝行したりするのが、
予め定められていた『大いなる流れ』
だったのではないか…と思えてなりません。
無理して性急に事を進めるのは、心身共に負担になりますよ。もっとゆっくり着実に、かつ自分を責めることなくやりなさい。
今まで目を背けてきた母親との関係について、一度しっかり向き合いなさい。そして、あなたの能力を活かして親孝行をしなさい。
『大いなる流れ』に逆らったあなたに、これらのことを身をもって実感してもらうため、『罰』を与えます。
みたいな。笑
前述の堀江さんも、奇しくも僕と同じ33歳の時に、『流れ』に逆らって『罰』を受けたと、個人的には思っています。
「衆院選で当選し最速で首相になって、日本のシステムを変える!」
「フジテレビを買収して、最速でテレビとネットを融合させたメディアを作る!」
彼の考えは極めて合理的だったとは思いますが、いささか性急すぎたのではないかと思います。
その後、彼は文字通りの『罰』を受けることになります。
彼は最後まで無罪を主張していたし、仮に有罪だったとしても、下された判決は類似事件と比較して明らかに重すぎたと思います。
日本を牛耳るお偉いさん達の反感を買ったゆえにこうなった…という説もありますよね。笑
これからは、どう生きていくのか?
ここまで述べたような話を友人にしたところ、
えー、なんか宗教臭が。笑
兼子さんには、そんなことに囚われずに、これからも挑戦していってほしいなあ。
というようなお言葉をいただきました。笑
確かに、この『大いなる流れ 』論には、
科学的な根拠は全くありませんし、
僕もこれに100%傾倒しているわけではありません。
そう考えると、合点がいくな
と、ただ思っているだけ。
自分の経験した事実に、
それらしい解釈を付与してるだけに過ぎません。
定められているであろう運命に完全に身を委ね、
思考停止で生きていくつもりもありませんし、
理想の追求を放棄するつもりもありません。
ただ、
理想を追求することも大切だが、
現実を追認することも人生において必要だ
と思うようになりました。
まずは、現実を追認する。
そして、焦らずに力を抜いて、流れに身を任せる。
その中で、目の前の課題に淡々と向き合う。
そうしているうちに、
いつの間にか、在るべき場所(≠理想)に辿り着ける。
そう信じながら、
僕は、淡々と日々を過ごすことにしています。
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