心のしこりが残る、子供の頃の記憶

子供の頃に『やりたい』と思うことがありました。
しかし、それをすることを母親に禁止されました。
今、冷静に考えれば、
たとえそれを母親に禁止されなかったとしても、
僕がやりたかったことは、
僕の能力では達成できなかったんだろうと思います。
けれど、
僕はそれをいまだに心のしこりとして抱えています。
もうすぐ39歳になるというのに…。
成功しなくても、心のしこりが残らなかったこと

それは、
恋愛と
都会への引っ越しです。


これまで、素敵だと思った女性には、
臆することなく自分の想いを伝えてきました。


ずっと憧れていた都会の街に、
一念発起して引っ越しをしたこともあります。
振り向いてもらえた女性はいないし、
都会での生活はわずか4ヶ月で幕を閉じました。
それでも、僕の心にしこりは全くありません。



僕は自分の思うままに挑戦することができた。



ダメだったのは、自分が能力不足だったから。
そうやって納得することができているからです。
つまり、僕にとっては、
成功できなかったことは何の問題もなく、
誰かによって挑戦の機会を封じられたことが、
心のしこりとして残っているのです。
今からでもやり直せばいいじゃん…?
残りの人生で今日が一番若い日。
人生は、いつからでもやり直せる。
よく聞くこういう言葉。
確かに、そういうこともあるかも知れません。
しかし、僕はそうは思えません。
物事には適齢期があり、
人生の時間は不可逆である。
そう思っているからです。


僕が子供の頃にやりたかったことを、
38歳の今、子供達に混じってやれるでしょうか?
たとえ、身体が子供に戻ったとしても、
これまで積み上げてきた知識・経験を持ったまま、
無邪気に子供達に混じれるでしょうか?



僕は、できないと思っているし、
したくないと思っています。
死刑制度への反対理由にも納得できない



冤罪だった場合、死刑は取り返しがつかない!



無期懲役なら、冤罪だったとしても、釈放後に人生をやり直せる!
死刑反対派の方がよく言うこの意見。
理解はできますが、共感は全くできません。
再審の結果、数年後に釈放されたとして、
拘留中に訪れたであろう適齢期に、
その人ができたかも知れないことは、
釈放されても、決して取り戻すことはできません。
死刑だけでなく、自由刑だって、
冤罪だった場合、取り返しがつかないと思うのです。



「人間が裁く以上、冤罪はゼロにはできない」
「だから、罰金以外には反対」
…って言うなら、筋が通っていると思いますけどね。
残りの人生をどう生きるのか?
人生の時間は、有限かつ不可逆。
そして、物事には適齢期が存在する。
そう考えてはいますが、



今しかできないことをやらなきゃ!
と、1分1秒を焦って生きたいとは思っていません。
逆説的なようですが、
人生の時間は有限で不可逆だからこそ、
適齢期や残り時間は気にしないようにしています。



制限を気にしないこと。
それが、脳の余白の極みだから。
その結果、たとえ適齢期を逸したとしても、
それは、自分の判断だったのだから納得できます。
だから、僕は残りの人生において、
僕の自己決定を邪魔してくる人間を、
徹底的に排除することだけに努めたい。
そう思っているのです。
SPECIAL THANKS
今回の記事内容をTwitterでつぶやいたところ、
推敲ほぼ無しの書き殴り長文だったにも関わらず、
それを読んで温かい言葉をくれた方がいました。
適齢期ってありますよね😌。
大人くんはその分、他の方にはない才能を授かったので、等価交換だったのかもですね…☆
※「大人くん」:あまりにも大人びた言葉遣いをしていた小学校低学年の僕に、高学年のお姉さま方がつけたあだ名。笑
恐らくご本人としては、
何の気なくしたコメントだと思います。笑
しかし、このコメントをいただき、
僕は長年抱えていた心のしこりが、
少しだけ溶けたような感覚を覚えました。
この方には、
何度か僕のお話を聴いてもらったことがあり、
数少ない僕の理解者だと勝手に思っているので、
本当に本当に嬉しい気持ちになったのです。
そのお礼を、最後に添えたくなりました☺️。
本当にありがとうございました☺️。