空間に『余白』ができたから…?
『捨てる』という行為には、快感が伴います。
ミニマリストを目指して、
どんどんモノを捨てていた時期に、
まだ捨てるモノはないか?」
と、部屋をウロウロしたこともあります。笑
でも、ある時ふと、こう思ったのです。
なぜ『捨てる』ことは快感なのだろう?
『捨てると気持ちいい』と似たようなものに、
『掃除すると気持ちいい』と、
『片付けすると気持ちいい』があると思います。
このあたりの共通点に、答えがありそうです。
掃除すると、そこにあった汚れがなくなる。
片付けると、そこに散らかっていたモノがなくなる。
モノを捨てると、そこにあったモノがなくなる。
はっはーん!
完全に読めたぜ!
物理的にモノがなくなると、
そこに『空間の余白』ができる。
それが『捨ての快感』の正体だ!
しかし、『空間の余白』説だけだと、
うまく説明できないこともあるのです。
物理的な『捨て』や『余白』がない場合
- 使っていない銀行口座を解約
- スマホのいらないデータを消去
- 行っていないジムを退会
- 気が乗らない飲み会の誘いを断る
- 辞めたい仕事を退職する
こうしたときにも『捨ての快感』があります。
物理的に何かがなくなって、
『空間の余白』ができたわけではないのに…。
ゴミ捨て場にモノを捨てた時にも、
『捨ての快感』があります。
物理的にモノは捨てましたが、
その場に『空間の余白』ができたのではないのに…。
『捨ての快感』の本質は、『脳の余白』
物理的な『モノ』に限らず、
何かを『持つ』こと、
もっと言うなら『抱える』ということは、
無意識に、脳のメモリを使うのだと思います。
だから、何かを手放した時には、
物理的な『空間の余白』はできなくても、
「あれについては、もう気にしなくていいんだ」
と、『脳の余白』ができるのでは…と思うのです。
もちろん、
「これは『空間の余白』が『捨ての快感』の原因」
「それは『脳の余白』が『捨ての快感』の原因」
と、はっきり分けられるものではないと思います。
「部屋の乱れは、心の乱れ」
「部屋の状態と、精神状態は繋がっている」
そんな言葉をよく耳にすることがありますが、
『空間の余白』と『脳の余白』は、
相互に関連し合ってると、僕も考えているからです。
だから、精神的にストレスがたまっている時は、何かモノを捨てたくなるんでしょうね…笑
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