この記事をお読みいただく前に、下記の記事をお読みいただくと、理解がしやすいかもしれません。
『枠』の中に、多くの『要素』があるとき、
ごちゃつきや窮屈さを解消し、
『余白』をつくって、すっきりとさせる手段として、
『要素』を減らすのが、ミニマリズム。
しかし、『余白』をつくるためには、
『枠』を広げることも必要な場合がある。
今回は、そんなお話です。
モノ篇:「起きて半畳、寝て一畳」はウソ
「起きて半畳、寝て一畳」
人間が必要な広さは、起きている時が半畳で、寝ても一畳あれば足りる。贅沢(ぜいたく) は慎むべきであるという教え。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
ミニマリストはモノが少ないから、部屋は狭ければ狭いほどいいんでしょ?
もしかしたら、
一般の人は、そうお思いかもしれません。
しかし、あくまで個人の意見ですが、
全くそんなことはないッ‼︎‼︎
と、僕は声を大にして言いたいです。
確かに、モノが少なければ、
上の画像のようなカプセルホテルでも、
物理的に暮らしていけないことはないでしょう。
ですが、カプセルホテルのような部屋には、
『空間の余白』がほとんどないので、
圧迫感で精神的に辛くなってしまうと思うのです。
『空間の余白』をつくる為に、
ミニマリズムでは『モノ』を減らします。
ですが、『枠』として、
ある程度の広さを確保することも、必要なのです。
カネ篇:ミニマリズム≠低収入肯定
『ミニマムライフコスト』という考え方があります。
お金から自由になるために、〝ミニマム・ライフコスト〟という発想を持とう。
一年間生活する上で、最低減必要なランニングコストはいくらか。
自分ひとり、または家族が健康的な食事をして、快適に眠る場所を確保する。そのためだけにいくらあればいいのか。
それさえ把握しておけば、ここぞというときに思いっ切り攻めることができる。
(中略)
そのときのために、どれだけ〝ミニマム・ライフコスト〟を下げられるかが重要だ。
「どうなっても、生きていける」ことを確信した瞬間、人はお金から自由になれる。
出典:「自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと」 四角大輔 著(サンクチュアリ出版)
僕は、この考え方にすごく憧れています。
僕は外食中心でたくさん食べるので、エンゲル係数がとても高く、ミニマムライフコスト未達成なのです…。
暮らしに必要な支出をミニマルにすることで、
お金の不安から自由になれる。
生きていく上で、とても大切なことだと思います。
しかし、この「ミニマムライフコスト」。
少し曲解されている時があると思うのです。
自分の暮らしに必要な支出を精選して、
ミニマムライフコストが10万円になったとします。
しかし、
今月の収入は12万円。
ミニマムライフコストは10万円だから、今月もなんとかやっていける。
これは『余白』があると言えるでしょうか?
今月の収入は25万円。
ミニマムライフコストは10万円だから、今月も15万円貯金できる!
これこそ、まさに『家計の余白』だと思うのです。
『家計の余白』をつくる為に、
ミニマリズムでは『支出』を減らします。
ですが、『枠』として、
ある程度の収入を確保することも、必要なのです。
…とか、偉そうに論じていますが、僕は『支出』を絞ることも、『収入』を上げることもできていません。
だから僕は「経済を語らないミニマリスト」なのです。笑
タスク篇:『枠』はあれども、気にしない
人に与えられた時間は、有限です。
人生はいつか必ず終わります。
しかし、いつ “その時” が来るかはわかりません。
『時間』においては、
『枠』がどれだけあるかはわからないが、
『枠』は、刻一刻と確実に減っている。
これが、厳然たる事実です。
だからこそ、僕はなるべく、
『時間の枠』は気にしないようにしています。
これは、お金に置き換えるとわかりやすいです。
多くの人は、お金をたくさん欲しがりますが、
具体的に「○億円欲しい」というよりは、
「お金の心配を気にすることなく、お金を使いたい」
というのが、本音なのではないでしょうか?
「制限を気にしなくてもいい」
これこそ、ストレスフリー=『脳の余白』の極み。
※注:正確に言えば「制限が全くない」ということも、人間にとってストレスになるのですが、「不本意な制限に抑圧される」というストレスとの比較優位として、ここでは扱っています。
だから、僕は自分の人生において、
『時間の枠』を意識していません。
一方で、時間の有限性も知ってはいるので、
『要素』である『タスク』は精選します。
『選択肢』はミニマルに。
しかし、『可能性』は無限大に。
そう思って、日々の残りの人生を生きています。
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