綺麗事・道徳的な観点からそう思っているのではなく、合理的・打算的な観点からそう思っています。笑
『謙虚で低姿勢』とは…?
主観的かつ抽象的な概念だと思うので、
ここでは、敢えてすごくシンプル化し、
『コップ』と『水』で喩えて説明します。
『コップ』は、その人の【能力】を表します。
『水』は、その人の【態度】を表します。
【能力120】の人が、
いえいえ、私なんてまだまだです。
と、【態度100】で振る舞う。
このような姿を、
『謙虚で低姿勢』だと、僕は思っています。
逆に、【能力90】の人が、
おいっ!俺は【能力90】だぞ!
と、【態度90】で振る舞う。
このような姿を、
『傲慢』だと、僕は思っています。
能力が高い人のほうが『謙虚で低姿勢』で、能力の低い人のほうが『傲慢』な振る舞いであることが多い気がします。笑
『謙虚で低姿勢』な振る舞いは『余白』の為
察しのいい方は、もうお気づきでしょう。
僕が『謙虚で低姿勢な振る舞い』をしたいのは、
自分が、『脳の余白』を持つ為なのてす。
【能力】は『絶対的』なものではなく、発揮される分野や、所属する母集団によって変動する『相対的』なもの。
だからこそ、いつでもどこでも『謙虚で低姿勢』な振る舞いでいたいと思うのです。
『謙虚で低姿勢』な人の振る舞いは、美しいもの。
それは、空間における『余白の美』を思わせます。
逆に、『傲慢』な人の振る舞いは、醜いもの。
それは、モノが散らかり荒れ乱れた空間のよう。
そう思わずにはいられません。
『謙虚で低姿勢』過ぎてもよくない
『コップと水の喩え』で言えば、上のような状態。
『謙虚で低姿勢』も、
行き過ぎれば、もはやそれは『卑屈』の域。
まさに、僕はそういう傾向があるタイプ。笑
『謙虚で低姿勢』な振る舞いをし、
『余白の美』はきちんと演出する。
しかし、龍安寺の石庭のように、
『凛』とした佇まいでいることを忘れない。
そういう人間で、僕はありたいです。
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