刑罰の本質は『更生』?
矯正施設への通所ではダメなのか?

極端な話、
犯罪者に、更生を促す矯正教育をするのなら、
彼らを刑務所に収容して、
自由を奪うという罰を与えなくても、
矯正施設に毎日通わせて、
教育・訓練・心理的支援を行えばいいはずです。

運転免許の違反者講習みたいな感じで。
しかし、
実際には、矯正施設への通所ではなく、
刑務所に収容して、彼らの自由を奪っている。
これは、
刑罰が、単純な更生プログラムではなく、
自由を剥奪する制裁であることを示しています。
死刑には『更生』機能がゼロ
拘禁刑は、犯罪者の社会復帰を前提とし、
彼らに更生を促すことを目的の一つとしています。
しかし、当たり前の話ですが、
死刑は、社会復帰を前提としていないので、
更生を促すことを目的としていません。



拘禁刑は、
自由を奪われることが罰。
死刑は、
殺されることが罰、なので。
刑罰の『更生』機能の限界
最後に、更生機能においての、
残酷な現実についても、触れておきます。
とても残念な話ですが、これが世の理です。



心理学的にも、
人格の根幹は幼少期に形成され、
その後の変化は限定的だとされています。
もちろん、例外はあるでしょうが、
凶悪かつ残忍な犯行をしてしまうような人間が、
刑務所で矯正教育を受けたからといって、
心の底から悔い改め、更生できるでしょうか?



死刑判決を受けた被告人が、実は同様の事件で過去に数年間服役していた。
そんな話を聞くたびに、矯正の効果に疑問を感じてしまいます。
刑罰の本質は『更生』ではない
『更生』の機能
- 単純な更生プログラムではない
- 死刑の場合、機能はゼロ
- 矯正効果に疑問・限界がある
このような理由から、
『更生』は、刑罰の一つの機能ではあるけれど、
刑罰の本質ではないと、僕は考えました。
続きます。