僕は、カッコつけていた
他人から、特に女性から良く思われたい
昔は、そんな気持ちがありました。
お笑いが好きだったので、
吉本興業的な上下関係に憧れ、
歳下の人には先輩風を吹かし、
自分を大きく見せようと、虚勢を張っていました。
後輩には食事を奢る、恋愛経験について実際よりも話を盛る…などをしていました。笑
とにかく、昔の僕はカッコつけていたのです。
『カッコつける』ことを徐々に手放す
そんな僕ですが、歳を重ねていく中で、
『カッコつける』ことを手放すようになりました。
『カッコつける』ということが、
精神的に負担だと感じるようになったからです。
歳を重ねて『大人』になっていくにつれ、
『若さ』という魅力で包み隠されていた、
自分の『小ささ』が露呈していくのを感じ、
それに対して嘘をつく形で虚勢を張ることに、
据わりの悪さを感じるようになったのです。
- 仕事に誇りを持てず燻る(25歳)
- カードローン破産(26歳)
- 正社員を退職(28歳)
- ミニマリストになる(29歳)
- 上京即発病で都落ち長期療養(33歳)
上記のリストように、年齢を重ねるにつれ、だんだんと自分の『小ささ』を痛感していきました。笑
年齢による上下関係を意識した人付き合いをやめ、
誰に対しても敬語を使って話すようにし、
距離感を保った付き合いをするようにもなりました。
大学以前の友人とは、当時の関係性そのままに、敬語を使わずに話しますけどね…。
堀江さん、さんまさんの言葉
「プライド」はないほうが、みんなに愛される
会社を辞めると世間体が悪いとか、転職に失敗すると格好が悪いとか、思うところはあるだろうが、誰もあなたのことなど気に留めていない。
(中略)
それなのに、なんでみんな、そんなに自分を防衛するんだろう。守っても、いいことはないはずなのに。
特に、年をとってくると、プライドがものすごく高い人と、全然なくなる人と二極化してくるように思う。
僕は、自分も「プライドがない」ほうにいきたいと思っているし、今、段々とプライドがなくなってきている。
たとえば、僕はお腹を下しやすくて、昔はパンツだけ捨ててノーパンで帰ったり、「途中でコンビニでこっそりパンツを買ってはこうか」みたいなこともあったけれど、今は、女性といても「俺、今日ノーパンなんだよ」ということが言えるようになっている。
引用元:「本音で生きる: 一秒も後悔しない強い生き方」 堀江貴文 著(SB新書)
俺は、絶対落ち込まないのよ。落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。過大評価しているからうまくいかなくて落ち込むのよ。人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん。
お二人のこの言葉は、
今の僕の生き方の礎になっています。
ただ、自分で在れば良い
『自分磨き』を放棄するつもりはありません。
「力を抜いて、流れに身を任せる」の範囲内で、
向上心は持ち続けたいと思っています。
そして、人並みに『写真映り』は気にします。笑
上の写真は、何度も撮影にトライした、僕の『宣材写真』です。笑
ですが、
現在の『ありのままの自分』を隠して、
虚勢を張ることはしないようにしています。
それをしたところで、周囲に人にはそれがバレバレで、却って逆効果でしょうしね。笑
「この年齢だから、こう振る舞わなきゃ」
「この立場だから、こう振る舞わなきゃ」
なども、一切考えません。
「ただ、自分で在れば良い」と思っています。
堂本剛さんのエッセイの『帯』から、お言葉を拝借しました。
綺麗事を言いたいわけではありません。
『カッコつける』ということは、
『脳のメモリ』をかなり使う行為。
『脳の余白』の為に、
『カッコつける』ことを、僕は手放したのです。
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