仕事においての『働き方』の話ではなく、
人生の『生き方』の比喩としての話です。
経営者的な働き方とは
- 働く時間は決められていない
- 成果を上げなければ収入はない
- 効率や成長の最大化を目指す
- 会社に最終的な責任を負う
労働者的な働き方とは
- 勤務時間が決められている
- 出勤すれば、自動的に収入が発生
- 指示された作業をこなすだけでいい
- 会社に最終的な責任を負わない
僕は、自分の人生を経営者的に生きていた
カネコ
僕はダメ人間なんだから、きちんとした『理想の自分』に成長しなきゃ!
そのために、本を読んで情報収集をして…
目標達成に向けた計画を立てて…
最短最速で成果を最大に!
トライアンドエラーを繰り返しながら、効率良く行動し続けなきゃ!
そんなことを十何年も続けているうちに、
ついに、身体が悲鳴をあげて壊れてしまいました。
労働者のように生きる?
そうなったときに思ったのです。
自分の人生だから、自分が最終的な責任を持って“経営”しなきゃって思ってた。
- 『理想の自分』への成長を目指す
- 目標達成の為に努力しなければいけない
だけど、ある意味無責任に、つまり“労働者”のように、人生を生きてもいいのかも…
- とりあえず『自分』を稼働させればOK
- 『自分』の成長や目標達成は意識しない
人生を “経営する” という意識を手放したことで、
生きることのハードルが下がって、
すごく気持ちが楽になりました。
でも、それだけだと、少しつまらないかも…
経営的視点を持った労働者のように生きる
経営者:労働者=2:8
くらいがちょうどいいのかもな。
つまり、
『経営的視点を持った労働者』として、
人生を生きるくらいがちょうどいいということ。
- 成長や目標達成を義務にしない。
- 暇潰しの範囲内で努力をしてもいい
これくらいのゆるい気構えで、
整った暮らしができる人間を目指していきます。