『徐々に変えていく』という手法
この不条理な社会で生きていく中で、
僕は、ときどき試してみることがあります。
理不尽な同調圧力を掛けられたとき

明文化されたルールではないけれど、
そのコミュニティー内には、
構成員の行動を“事実上”制限するような、
“暗黙の了解”的なルールがある。
誰でも一度は、
こういう経験があるんじゃないでしょうか?

明文化するのが憚られることだから、あえて“暗黙の了解”的な空気を醸成することにしている。
そんな気がしてなりません。笑
僕は、自分が他人にどう思われるかなんて、
本当にどうでもよくて、全く気にしないのですが、
“暗黙の了解”的なルールを、
最初から完全に無視しないようにはしています。



確実に誰かから指摘されるし、指摘はされなくても、変な空気が漂う中で過ごさなくてはいけなくなる。
それは、脳の余白をかなり食い潰すことになるからです。
しかし、理不尽な“暗黙の了解”的なルールに、
ずっと縛られた状態を甘受することもしません。
少しずつ、少しずつ、様子を見ながら、
まるで、アハ体験の映像のように、
自分の行動をじわりじわりと変えていきます。笑





まさに、オリラジさんのこのネタのように…笑
続きます。