僕がネガティヴリストな指導をする理由
- 人に行動を強制したくない
- 自分の手法が絶対的な正解ではない
- 相手の能動性を認めたほうがWin-Win
1.人に行動を強制したくない
今回シリーズの冒頭で、
僕は、誰かに何かを教えるということが、
あまり好きではありません。
と、お伝えしたかと思います。
その理由を煎じ詰めて考えると、

誰かに何かを
『教える』
ということは、
ともすれば、
誰かに何かを
『強制する』
ということに繋がる…



僕は、誰かに何かを強制したくない…
という思いがあるからなのだと思います。
さらに僕は、



仮に、
誰かに何かを
『強制する』
のであれば、
一定の合理性か、
社会通念上の大義名分
がなければいけない。
と、自分の中で考えています。



僕は、
誰かに行動を強制されたくない。
だから、
誰かの行動も強制しない。
ただ、それだけなのです。
2.自分の手法が絶対的な正解ではない


僕の手法の効率の良さについては、
正直言って、自信があります。笑
しかし、
もしかしたら、僕の手法よりも、
もっと効率が良い方法があるかもしれないし、
僕の手法が一般論としては最適解だとしても、
新人の彼女の特性には合わないかも知れません。



なんなら僕の特性ほうが、一般論としての最適解から大きく外れてる可能性だってありますし…笑
だから、
僕は、自分の手法を手本として提示はしますが、
それを相手に押し付けることはしないのです。
3.相手の能動性を認めたほうがWin-Win


ポジティヴリスト的に、
箸の上げ下ろしまで指導をすることには、
3つの大きな弊害があると、僕は考えています。
① 相手の意欲が失われる
作業に創意工夫する余地がほとんどなく、
言われた通りに作業することを強いられる。
これって、地味にストレスなことだと思います。



ロボットならいいんでしょうが、相手は“考える葦”である人間なので…
ゆえに、それを強いられるうちに、
相手の意欲は、どんどん低下していくのです。
② 相手が能動的・臨機応変に動けなくなる
ポジティヴリスト式指導を続けると、
相手は、常に指導者の顔色を窺うようになります。
そうすると、咄嗟の判断が求められるときに、
能動的・臨機応変に動けない人になってしまいます。
③ イノベーションが起こらなくなる
僕は、試行錯誤の末に確立した自分の手法に、
一定レベルの自信を持っています。笑
しかし、時として、
教える相手からもたらされる、
新人ならではの既成概念にとらわれない視点に、
ハッとさせられることがあります。
ポジティヴリスト式指導をしてしまうと、
そうした斬新な視点を排除することになるので、
そのコミュニティーが成長しなくなってしまいます。
指導は、ネガティブリストで


ボジティヴリスト的な指導は、
相手の特性にフィットしない可能性があり、
相手の意欲・能動的な行動を抑制し、
イノベーションの芽を摘んでしまうので、
双方にとって、マイナスしかないと思います。
だからこそ、
僕は、指導をすることになった際には、
絶対に守らなけれないけないことのみを伝えて、
あとは、相手の裁量を認めることにしているのです。