僕は、将来のことを考えたことがない
子供の頃から、そうでした。
一般的な知識として、
小学校→中学校→高校…って行くんだろうな。
くらいな感じで、ぼんやりと思ってはいましたが、
中学に入ったら○○部に入るぞ!
とか、
将来、○○高校を受験するぞ!
などと、思ったことは一度もありませんでした。
高校は、地域で2番目の進学校に行きましたが、
中3夏の段階では、進路希望が特になかったので、
進路希望の紙に、工業高校の名前を書きました。笑
高校1年4月の進路希望調査でも、
進路希望が特になかったので、
同級生たちが、きちんと志望大学名を書く中、
- 第1希望 東京大学
- 第2希望 京都大学
- 第3希望 静岡大学
と、適当に書いて提出しました。笑
どれも、僕の学力では到底行けない大学ばかり。笑
いかに、自分の進路について考えてなかったか…笑
運良く、静岡大学教育学部に入学した後も、
同級生たちが、卒業後の進路をしっかりを語る中、
俺は、自分が将来どんな職業をすることになるのか、まったくわからない。
俺の未来は本当に混沌としている。
だから、俺はこの4年間を自分の将来を考える時にしたい。
せっかく静岡大学に入ることができたのだから、よく学び、よく働き、そしてほどほどに遊び、「今」というこの時を、ベストを尽くして歩む、そんな生き方をしたいと思っている。
引用元:大学1年初夏に発行されたクラス文集
などと語っています。笑
これまでの自分の人生を振り返ってみると、
○歳で結婚して、○歳で家を買って、子供は○人は欲しいな。
的な、いわゆる『人生プラン』を考えたことは、
ただの一回もありません。
ただ、いつの時期も共通していたのが、
いつか『ここ』から逃げ出したい
と、ぼんやりと思っていたこと。
僕は、『いま自分がいる場所』に対して、
いつも『据わりの悪さ』を感じていて、
薄ぼんやりとした『理想郷』を求めていたのです。
「僕にとって、人生の本質は『逃げること』」
自分の人生を振り返ると、そう思います。
堀江貴文さんも、将来のことを考えない
「将来に無計画なのは、大人として恥ずかしい」
一般的には、そういう風潮があると思います。
ですが、僕はどうしても、
『将来を思い描く』ということができませんでした。
そんな中、27〜28歳の時に出会ったのが、
堀江貴文さんの『ゼロ』という本です。
僕は自分の老後はおろか、たとえば10年後や20年後の自分について、いっさいの計画を持っていないし、不安もない。
こんなことを言うと「それは堀江さんが食うに困らないだけの資産を持っているからですよ」と反発する人がいるのだが、そうじゃない。ここは冷静に考えてみてほしい。
あなたにとっての老後、たとえば50年後のことを考えて、なにかひとつでも確かな答えが見つかるだろうか?
50年後の夏は猛暑なのか、冷夏なのか。冬にはどれくらいの雪が降るのか。地震や台風などの天災は大丈夫か。戦争に巻き込まれたりしていないか。
50年後はなんという政党が政権を取っていて、そのとき日本はまだ議院内閣制なのか。大統領制に移行しているのか。そもそも50年後に日本という国が存在し、国籍や国境がいまほどの意味を持っているのか。
これらの問いは、どれだけ考えても答えが出るものではない。そして答えの出ない問題に思い悩むのは、明らかに非合理的な態度だ。
引用元:『ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく』 堀江貴文 著(ダイヤモンド社)
『将来を考えられない』のは、やっぱり別におかしいことではないんじゃ?
これを読んだ時に、そう思ったのを覚えています。
『パレオ思考』の観点から
『パレオ思考』とは…?
人類の歴史の99%は、狩猟採集時代(旧石器時代=パレオリシック)である。
ゆえに、人間の脳と身体は、いまだに狩猟採集時代の環境に最適化されたままである。
…という考え方。
『パレオ思考』は、僕の造語です。
アイドルヲタの友人にこの話をすると、いつも以下のようなやりとりになってしまいます。笑
『パレオ思考』で考えると…
え?
『パレオ思考』って何?
いや、前にも説明したじゃん!笑
いや、覚えてないわ。笑
『パレオはエメラルド』(SKE48の楽曲)しか思い浮かばない。笑
狩猟採集民には『未来』の感覚がなかった
それもそのはず。
朝起きて、日中は狩猟や採集をし、
夜はとってきた肉や木の実を食べ、
焚き火を囲みながら団欒して、眠る。
狩猟採集民の暮らしは、
そんな『その日暮らし』の繰り返し。
『未来』という感覚を持たないのも納得です。
人類は『狩猟採集』から『農耕』にシフトした段階で、初めて『未来』という感覚を掴んだんだとか。
「秋に種を蒔けば、来年の初夏には穀物が収穫できるな」というように、一日単位の時間感覚だけでなく、一年単位の時間感覚を掴む必要に迫られたからですね。
将来のことを思い描けなくて、当然?
人間の脳と身体は、
いまだに狩猟採集時代の環境に最適化されたまま。
そして、
狩猟採集民には『未来』の感覚がなかった。
そう考えると、
僕が『将来を思い描く』のが苦手なのも、ある意味当然なんじゃ?
と、思うようになりました。
予想できない将来のことは、考えない
あくまで、
『予想できない将来』
については考えない、ということです。
『予想できる将来』
については、しっかり考えて行動します。
仕事において「今年は、○○の部分で失敗してしまったから、来年の同じ仕事では、○○を□□に改善してみよう」と考えたりする…ってことです。
ですが、基本的に、
『未来』はどうなるかわからないもの。
ならば、
『予想できない将来』については、
思い描いたり悩んだりすることを、しない。
そのほうが、『脳の余白』ができる。
そのように、僕は考えているのです。
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