皇室のことは、皇室で決めてはダメなのか?
カネコ皇位継承って、言わば『皇室』という一つの家族の家督継承。



普通、自分の家のことは自分たちで決めるよね?



皇位継承について、なんで“外野”の政治家が口を出しているんだろう?



あと、皇位継承順位が、皇室典範で自動決定されるのも、なんだか非合理的に感じる。
皇族も人間なんだから、“天皇としての適性”ってのがあるだろうに…



さらに、皇室典範に退位の規定がないのも、なんだか違和感がある。
「天皇は死ぬまで働け」と言わんばかりじゃないか。



昔は、退位や皇位継承について、天皇が自分で決められたんじゃないの?
日本は『権威』と『権力』の二元体制


まず前提として、抽象的な話ですが、
歴史を振り返ると、日本という国は、
『権威』と『権力』が分離された二元体制
である期間が長かった…という話をさせてください。



『権威』…「従わなきゃ」と思わせる力
『権力』…命令に強制的に従わせる力
って感じです。
天皇の前身である大王(おおきみ)は、
古墳時代のヤマト王権にて、
大勢の有力豪族たちの盟主として君臨しました。
大王(おおきみ)は、
権威者であると同時に、権力者でもありました。
その後、平安時代には、
藤原氏が摂関政治によって実権を握るようになり、
徐々に、権威と権力の分離が進みます。
そして、大きな転換点になったのは、
鎌倉幕府による武家政権の成立です。
これ以降、
天皇が『権威者』として君臨し、
武家政権が『権力者』として支配をする
という、権威と権力の二元体制が、
数百年をかけて、徐々に定着していきました。
天皇は、自由に退位することができたのか?


結論から言うと、
天皇が退位を自分で決められた時代はあったが、徐々に制約が増えていき、明治時代にはついに退位制度がなくなった。
と言えそうです。
古代から平安時代までは、
天皇自身の決定や、
朝廷内部の合意で、
適当な時期に後継者へ譲位することが、
珍しくありませんでした。
そして、平安後期には、
天皇が自ら退位して上皇になり、
院政によって政治を主導することが増えました。



有名なのは、白河上皇や後鳥羽上皇ですね。
しかし、
鎌倉時代に入り、武家政権が始まると、
幕府が朝廷運営に介入するようになり、
譲位は行われ続けましたが、
天皇の意思だけで決めるのは難しくなりました。
そして、
明治時代の『旧皇室典範』、
戦後の現行『皇室典範』によって、
譲位制度そのものが削除され、
事実上、天皇は終身在位する制度になりました。
そのため、
第125代天皇であった上皇陛下が、
2016年に、生前退位の意向を示した際には、
『退位特例法』を制定する必要が生じました。
そうして、2019年に、
約200年ぶりの譲位が実現したのです。
天皇は、皇位継承者を決められたのか?


結論から言うと、
天皇が皇位継承者を自分で決められた時代はあったが、徐々に制約が増えていき、明治時代には継承順位があらかじめ法律で定められるようになった。
と言えそうです。
古代においての皇位継承は、
朝廷内で、皇族や有力豪族たちが合議し、
皇族の中の人材から、
- 豪族の支持
- 本人の能力
- 母方の家柄
などを総合判断して、次の天皇を決めていました。
そのため、皇族・豪族同士の
継承争い(内戦に発展した例も…)も頻発しました。



有名なのが、壬申の乱ですね。
皇位継承を巡って、大海人皇子と大友皇子が争いました。
つまり、この頃は現代のように、
- 長男だから自動的に即位
- 継承順位第1位だから自動的に即位
というわけではなく、
- 朝廷内の合議で選ばれた皇族が即位
- 場合によっては継承争いの勝者が即位
という感じだったのです。
奈良〜平安時代前期には、
朝廷内の皇族や、有力貴族たちによって、
父子継承を決めることが増えていきましたが、
継承順位は固定されず、
兄弟間や叔父・甥の間でも、
柔軟な運用で皇位継承がなされる場合もありました。
そして、
平安時代中期に、藤原氏が台頭すると、
皇位継承には、
藤原氏が強い影響を及ぼすようになります。
要は、藤原氏にとって都合いい皇族が、
次の天皇として選ばれる傾向にあったのです。
また、平安時代後期の11世紀後半以降、
上皇が政治を主導した院政期になると、
皇位継承には、上皇の意向が強く働き、
上皇と有力貴族が相談して継承者を決めました。
つまり、この院政期には、
上皇が「天皇に相応しい」と考えた皇族が、
次の天皇として選ばれる傾向にあったのです。
しかし、
鎌倉時代に入り、武家政権が始まると、
皇位継承には朝廷の意向だけでなく、
武家政権の意向も反映されるようになりました。
武家政権が重視したのは、
- 継承者本人の能力や家柄
というより、
- 政治的に安定するか?
ということでした。



有名なのが、
・持明院統
・大覚寺統
の対立です。
両統が対立した結果、鎌倉幕府は天皇を交代で出す『両統迭立』を行いました。
その後も、
室町幕府、織田豊臣政権、江戸幕府など、
武家政権の権力者たちは、
その時々の政治判断をもとに、
皇位継承や朝廷人事に、
大きな影響力を持ち続けました。
ただし、どの武家政権下でも、
次の天皇はあくまで皇族の中から選ばれました。
そして、明治時代になると、
皇位継承の在り方に大転換が起きます。
それまでは、時々の事情によって、
皇位継承者を決めていたのですが、
1889年制定の旧皇室典範によって、
継承資格・継承順位が法制化されたのです。



皇位継承者は、
・男系男子に限定
・継承順位をあらかじめ規定
で、自動的に決定されるようになりました。
退位や皇位継承は、誰が決めてきたのか?
こうして調べてみると、
退位や、皇位継承の在り方については、
かつては朝廷や皇族が中心となって決めていたが、時代を経る中で、藤原氏や武家政権など、その時代の権力者が強く関与するようになっていった。
と言えると思います。
僕は、記事の冒頭で、



皇位継承について、なんで“外野”の政治家が口を出しているんだろう?
と思っていましたが、
国民主権である現代において、
権力者は、民意で選ばれた政治家なわけで…
そう考えると、
政治家が、天皇の退位や皇位継承に対して、
国会で議論して法整備するという現代の状況も、
日本史においての、
権威たる皇室に、権力者が強く関与してきた
という流れの中で、
一定理解できるとも言えます。
しかし、
皇室典範の規定によって、
継承資格者と継承順位が自動決定し、
原則として退位を認めない仕組みは、
日本史全体から見ると、
比較的、新しい制度だとも言えるのです。
続きます。








